はじめに
こんにちは、前回に引き続き青山学院大学山岳部の副将杉本です。
私達青山学院大学山岳部は、2018年9月〜10月の約2ヶ月間を掛けてWhitewaveという未だ世界中の誰も登頂したことのない頂を踏もうと、遠征登山を計画し準備を進めています。
前回は、部活として遠征を立てるに至った経緯を書いたので、今回は遠征に参加する隊員の個々人の遠征に至るまでに触れたいと思います。皆に遠征について意気込みを語ってもらいました。
今回遠征に参加するのは、5名。現役4名、OB(山岳部監督)1名の現役中心の遠征隊となっています。それでは早速紹介していきます。
田口純也 山岳部主将 4年生
私は、正直、いわゆる未踏峰そのものには何とも思わない。なぜなら、未踏峰というのなら、私が登ったことのない山はすべて自分にとって未踏峰だからである。
私は、長いこと野球をやっていた、大学に入った時も野球部に入部した。しかし、途中でこのまま決められたトレーニングをただ淡々とこなしていくだけの大学生活は味気ないと思ってしまった。もっと主体的に楽しんで行動する人間でありたいと思った。そろそろ潮時だと思ってやめることを決めた。
山岳部に入ったばかりの頃は、すべてが新鮮だった。右も左もわからないので、初めはひたすらに先輩やコーチについて行った。最初の頃は、特定の目標というものは特になかった、あらゆることが初めての経験で楽しむのに夢中だった。未知の世界に踏み入れたことがうれしかった。初めて登った冬の鷹ノ巣山も、東海道を100キロひたすら歩いた事も、雨に降られっぱなしだった南アルプスも、初めて行ったネパールトレッキングもたのしかった。
そうして山岳部で活動を続けていく中で、少しづつ目標ができてくる。例えば、山で高低差が大きく、長い道のりを走るトレイルランニングは、早いうちから自分で目標を定め挑戦するようになっていた。何十キロも山の中を走り抜けるのは、つらいながらも痛快だった。
改めて、どうして山に登っているのかと問われると、すぐには答えが出てこない。理由というものは、後から考えていくらでもこじつける事もできてしまうものだと思うので、安易にこれが理由だとは決めつけたくないのだ。決めつけたことにとらわれてしまえば、視野は狭くなり未来の可能性を狭めてしまうような気がする。
恋は盲目というが、好きなものほど、見えなくなるのだと思う。自分の行動も同じ、山は、好きだからよく分からなくなってしまうのかもしれない。
ただ、完全に山を理解してしまったらもう自分は山に行きたいとは思わないに違いない。山のことをもっと知りたいと思うからこそ自分は山に登り続けているのだろう。当たり前だと思っていることをわざわざやりたがる人間はいないのだ。
おそらく多くの人々は長く生きるにつれて、いろんなことを知っていくうちに、色んなことを当たり前だと思ってしまう。そうすると、毎日当たり前のことが淡々と過ぎてゆくだけになってしまう。これではただの傍観者にすぎない。
でも、当たり前ではない事だらけだと思えるなら、毎日は新鮮なで楽しいはずだ。やりたいことがあるからこそ主体的に行動できる。
私には、やってみたいことがたくさんある。友達がやっていて、ダイビングもしてみたいと思ったし、最近は、ピアノもやってみたいと思うようになった。自分がリズムを作り出せる、ただ人の音楽を聞くばかりでなく、自分が主体的になってできると思ったからだ。
そうやって、これがやりたいあれがやってみたいと、想像を膨らませられるのがワクワクする。結局、仮説が、楽しいのだ。閃きや仮説が浮かんだ瞬間。その正体が何であるのか知ってしまった時点で終わってしまう。どんなとこなのかやってみたい試してみたい、それが原動力になる。
西遊記、童話、天空の城、ラピュタに憧れて、でも行ったらそうでもなかった。想像する事に意味がある。キリスト教、ブッダ、悟りを開く、地上の楽園。現実がどうとか関係ない、そういうのを考えるのが楽しい。空想できるのが人間。それを活かさずにいるのはもったいない。
改めてなぜ未踏峰なのかを考える。
例えば、最高峰エベレストはインターネット上に動画が沢山あって、情報もある。登るルートはほぼ決まっていて、どこで何をするのかは計画の通りに進んでいくだろう。でも、それは淡々とこなしていくだけの作業と何が違うのだろうか。
私は淡々とやることをこなしていくだけの登山にはしたくない。人間の持つ想像力を駆使してクリエイティブな登山をしていきたい。ただ、誰もやったことがないことがしたいから行くのではなく、自分にとって未知の体験だからやりたいのだ。
それが、私にとってのWhitewave。
杉本俊太 山岳部副将 3年生
小さいとき、「探検隊になりたい!なぜなら、色々なことを知れるから!」そう思っていました。それは今でも、変わりません。僕は、未知のものを追い求めて、仲間とともに探検をするというものをイメージしています。仲間と未知のものについて、ああでもないこうでもないと、語り合うのです。
僕には、この世界中のことを知り尽くしてやりたいという野望があります。もちろん、それは叶わないことかもしれません、ただ一生かけてこの世界のあらゆることを知り、できることならただ人から聞いたり、本やインターネットなどを通じて知るだけではなく、自分の身をもって世界を感じたいと思っています。
山に登ると、当然ながら、森や川があったり、谷があったり、遠くの景色が見えたり、広い空に雲が流れていくのが見えたり、星がみえたり、遠くに町や街の明かりが見えたり、時に海も見えたり、いろんなものが見えたりします。そして、風を感じながら、重力を感じながら、雨に濡れながら、太陽の光を浴びながら、生身のからだのまま世界を感じることができるのです。つらいことに耐えるのも、世界を知るきっかけです。
見ることは、知ること、といいますが、まずは自分の目で見ることは確かに重要です。でも、せっかくなら、僕たちには体があるのだから、体でも感じたいと思います。
僕にとって山から見える景色は自分を「わくわく」させてくれるものなのです。次は、あんなことをしてみたいなど、山から世界の色々なところへつながっていきます。
今回、未踏峰に挑戦するということは、僕にとっては、次につながる大きな一歩だと確信しています。何年か前の自分では、たどり着けない世界でした。話には聞くけれども、おそらくはヒマラヤの未踏峰など身をもって体験するものだとは、思ってもみませんでした。
そんな、遠くの憧れが、いろんな人と出会う中で、少しづつ身近な存在になってきたのです。今の僕にとっては、ヒマラヤは縁遠い存在ではないのです。憧れでしかなかったものを、身近に体験するという経験は、必ず次につながる大きな一歩になると思っています。
松原峻彦 2年生
私は、海外遠征に行って「美しい」という言葉では語り切れないような、私自身を飲み込む迫力あるヒマラヤの高峰が見たいから、山岳部に入った。
保育園くらいから父が山に連れてっいてくれていた。父が連れていってくれたことが、今の山の情熱に繋がったと思う。山は、自分の性格に合っていた。
私は大きな音が嫌いで、町中の喧騒やざわざわとした騒がしさが苦手だ。山行中は、一人で登る。それが好きだった。
もともと山には興味があったので、山岳部のブログを読んで刺激を受けた。植村直己に憧れていて、彼のように歴史に名を残すようなことをしたい。その活動に繋がると思って、山岳部に興味を持った。
自分は思ってることを、あまり人に言わない方だと思う。言っても仕方ないと感じるから言わないこともある。
批判として、言うのではなく、起こったことをどうすべきかを考えるべきだと思うから、言わない。言ったとしても問題の対策として「こうしようよ!こうするべきでは?」ということを言いたい。自分の発言には、責任をもって意味を持たせたい。
今回のWhitewaveの遠征でも、浮かれることなく、遠征の準備を怠らず、自分の中のもっと大きな目標につながるように頑張りたい。
池田昂史 4年生(ヒマラヤのために休学中)
自分には、あこがれの先輩がいます。
その人は、すごいのにそのオーラを感じさせません。博識なのに、知識をひけらかして、他人を馬鹿にするような態度も取りません。飄々としていて、いろんなことを、いつのまにかヒョヒョイとやってのけてしまうようなところに憧れます。
常に自然体。「風」みたいです。たんぽぽのワタのように。ふいたらとんでいっちゃうような、飛んだら、また新しいところで花を咲かせて、そこから、また新しい種を飛ばす。
その人が予備自衛官をやったり、ヒマラヤの山に登ったり、休学して色んな経験をしてるのに、それを自分から多くは語らない。僕は、そのうち先輩の後を追うようになりました。
今回の未踏峰Whitewaveの遠征に参加したのもそういった経緯があります。
どうしてその先輩にあこがれたのか、今回改めて考えてみます。おそらく、きっかけは小学校の頃にあります。振り返ってみれば、小学校の頃から、自分は人に流されやすい性格だった気がします。
自分が通っていたころ、小学校はいじめの多いところでした。僕自身、いじめは好きではありませんでしたが、僕が仲良くしてたのはどちらかというと、イジメっ子達のグループでした。
僕は、一人で論理的に考えて行動するのが苦手だったので、大体グループとともに行動していました。なので、先生とかにも呼び出されることも多かったのですが、先生は僕がいじめをする人間だとは思っていなかったようで、ことあるごとに周りに流されるなと言われていました。
その先生の言葉が、ずっと頭の片隅にあったのだと思います。だから、心のどこかで一人でなんでもできるような自立した人間になりたいと思っていました。それであこがれの先輩のように、一人で色んな事をしたりするのを見て憧れたのだと思います。
今回の未踏峰の遠征でも、先輩のように自立して自分で考えて行動できるように頑張っていきたいです。
村上正幸 山岳部監督 隊長
青山学院大学山岳部の監督を務めています。監督8年目のまだまだ新米です。
山岳部8年間の監督生活の中で、3回の海外遠征登山と4回の現地との交流を通して、参加した若い学生達が劇的に変わる様を何度も目にしてきました。
それはなぜなのか?と考えてみると、未踏峰への挑戦には過去の記録などはほとんどなくて正解がないのです。さらに言うと、目標とする山を探すところからすでに大変。世界の未踏峰DBなんて無いですから。。
ネパール政府の発表する未踏峰リストを入手したり、目処を付けた山の名前から、各国の遠征記録を探して本当に未踏かどうか調査したりと。でも、これだ!と思った山は力量的に無理とか行けない理由はどんどん出て来るのです。
それを自分たちの力で超えて、物理的に分かりやすいゴールにたどり着くというプロセスが成長させたのではないだろうかと考えました。
一方で、リスクは死。得るものは頂上からの景色。
今の世の中的には全くもってバランスが取れていないように見えますが、この頂上からの景色が値段を付けられない自分だけの最大のご褒美なんだと思います。
こんな価値のあるご褒美をあんなプロセスで得ることを体験した学生達は、これから先、世の中のルールやお金に縛られずに未来を切り開ける人になっていくのは間違いないです。
そんな想いを計画に込め、学生達と沢山の話をしました。
目的は、学生の未来における挑戦で、ちから強くブレることの無い一歩を踏めるようになることなんです。だから、高所ガイド(シェルパ)にも協力頂くし、酸素も緊急用として持ち込みます。
安全策はすべて講じつつも、学生達と共に命をかけたチャレンジをします。死んだら負けのリトライ不能だから、最悪でも引き分けまでにするための策は全てうちます。
次に繋げるためには、命を失っては決して駄目なのです。登頂しなくても、今回の計画を立てて推し進めたことと2ヶ月弱の登山は必ず学生たちのココロになにかを刻んでくれるものになりますので。
学生隊員のゴールは山頂。そして、その山頂は次へのスタート地点でもあります。学生達はここから何かしらのヤマを見出し、登っていってくれることでしょう。
今回は遠征隊員に意気込みを語ってもらいました。どこか共感できるところがありましたら、ぜひぜひ応援してください!
青山学院大学山岳部、いいなと思っていただけたら、ブログ、Facebookなどありますのでそれを見て僕たちの活動を見守ってくだされば幸いです。
ドローンなどで撮影した動画などもありますので、映像や写真などを楽しんでいただければと思います。
メンバーそれぞれがココロに秘めた熱い思いを語ってもらったところで、今回はここまでとなります。ありがとうございました。
次回は、Whitewaveへの挑戦に向けた準備と訓練について触れたいと思います。
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